教会学校

渡邊朱倫
2020 年 12 月 4 日

1

プロテスタント教会付属の幼稚園に通わされていた。日曜日も大抵そこの教会学校に往っていた。

幼稚園教師は時々紙芝居で聖書の解説をするのだが、私は言葉の発達が遅かったので殆ど理解できなかった。教会学校然り。

2

小学校に上がって、福山市内の単立教会(以下 T 教会)に母の車で通わされた。

教会学校では毎週「ゲーム」と称してお遊戯のようなことをさせられた。「二人で 1 m 位のトイレットペーパーを引きちぎり、長い方が勝ち」という或る意味面白い遊びもしたが、果して教会という場に相応しい行事だろうか。私自身「ゲーム」を嫌がって𠮟られたことすらある。

牧師夫人からは威圧的な罪意識、地獄への恐怖、終末論を聞かされた。牧師夫人は「アダムとエヴァは物凄い美人だったと思う」「アダムとエヴァは罪を犯すまでは、染色体のテロメアが縮まない体を持っていた、罪を犯して以来テロメアは縮むようになった」「聖書が正しいと科学的に証明される日がきっと来る」「君たちが生きている間にイエス様がきっと再臨なさる」「最後の審判の日に人間はまず骨から再形成され、それに肉が付く」など、異様で奇怪な臆測も説いていた。例の如く、進化論なども断乎と否定していた。進化論否定は太平洋の向こうの「対岸の火事」ではないのである。

3

教会学校向けの讃美歌に『神様ただひとり』という歌がある。北海道の某教会の幼児が考えた歌だそうだ。牧師夫人からだったか、先にそういう情報を知らされたときには少し嫉妬を覚えた。あんな歌に嫉妬したと思うと少し恥ずかしいが。

牧師夫人と別のある中年女性は、児童に駆け寄り、目の前で「(神様は)○○ちゃんを愛してる!○○ちゃんを見つめてる!○○ちゃんを護ってる~!」という『神様ただひとり』の替え歌を歌いながら手を振ってあやすようなことをしていた。私もされた。当時は歌の類一般が余り好きでなかったが、『神様ただひとり』は大嫌いになった。

4

「大人の礼拝」、即ち牧師の説教を聴くのはずっと苦手だ。

T 教会の牧師は東大卒なのか、説教に蘊蓄じみた内容が多かった気がする。偶に会衆が爆笑するのだが、一緒になって笑った試しがない。

5

牧師の説教を聴くのが苦手なので母子室等で遊んでいた。小学生の頃はビデオで「ゲンジ通信あげだま」等のアニメを観ていた。

牧師一家の PC で双六などのゲーム等も嗜んでいた。小六くらいまで他との仲はあまりよくなかったので屡々喧嘩になった。

信徒の息子の一人が RPG を持ってきた。「ユニ」という名前の赤髪の少女が私好みで気に入った。符号化文字集合の Unicode は日本の情報処理関係者の間で何かと不評だが、私が Unicode を余り憎めないのは彼女の所為かもしれない――私も大概だ。その割に「ユニバーサル・スタジオ」に往きたいとちっとも思わないのは矛盾だが。余談。

6

岡山理科大学を辞めた後、私は例の牧師夫人に「キリスト教が信じられなくなった」と告げた。父曰く、今となっては私は教会に「往けなくなった」らしい。

2020 渡邊朱倫