キリスト者学生会の想い出

渡邊朱倫
2020 年 12 月 20 日

イシュ・イシャ合宿

岡山 2 年目だったと思う。父親に勧められてキリスト者学生会(KGK)の「イシュ・イシャ合宿」(イシュ・イシャはヘブライ語で男・女の意味らしい)に参加した。

岡山市内での集合場所は憶えていない。泊まる場所は国立吉備青少年自然の家、岡山や福山近辺では定番の研修施設だ。KGK が山中に泊まって合宿をするのは森林風景を楽しむ為ではなく、宿泊費が安いが為なのだろう。

指導者は矢島志朗という男で当時は中四国地区の担当だったが、具体的な会話はせず終いだった。

集会ではギターの伴奏に載せてワーシップ・ソング(フォーク風の讃美歌のようなもの)を歌わされた。歌詞は OHP でスクリーンに表示される。元々アメリカの「ペンテコステ派」という宗派の手法だったらしいが、最近は所謂「聖霊派」「福音派」一般で広くワーシップ・ソングと OHP が用いられる(日本基督教団やルター派では余り用いられない)。

ワーシップ・ソングという音楽が如何に詰らないかは後々綴るが、ゆずとかコブクロよりもっと拙くて、歌詞も教外の者が感動する代物ではない。少し呆れたのが、OHP の担当が面白がってか、PowerPoint の機能か何かで「主を讃えよ」とか「主を崇めよ」といった歌詞を変なアニメーションで表示させるのである。正直、キッチュな宗教は嫌いだ。

説教の内容も殆ど憶えていない。幾度か書いたとおり、牧師の説教を理解するのは苦手だ。私に知性が無いからかも知れないが。合宿の主題の通り、男女関係云々の話だったと思う。当時の私には「礼拝や集会に参加すればする程信仰が増したり、救われる可能性が高まる」という意識が暗黙の裡にあった気がするから、取り敢えず合宿には参加した訳だ。

珍妙な余興もさせられた。四年生だったかの女子が提案した「ピーナッツゲーム」。片足立ちなど変な恰好をさせられ、その女子が「ワン、ピーナッツ!ツー、ピーナッツ!」と数え、「テン、ピーナッツ!」まで体勢を保持した者が勝ち(?)らしいのだ。こういう余興、好きな人は好きかも知れないが、嫌いな人はとことん嫌いであろう。

ついでに余興ならぬ余談だが、雑談か何かの場でギャルっぽい女子が私を指して「巨人の上原に似ている」と形容した。野球は観ないし、今の所ウェブに顔を曝したくもないが、私は巨人の上原に似ているらしい。あのギャルは元気だろうか。

メール

なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。

――マタイ傳福音書6:6

在学中は携帯電話を持っていたから(一年に一台の頻度で八つ当たりで破壊していたが)、KGK の学生の代表にメールアドレスを知らせると、時々「今日は◯◯大学と◯◯大学の学生の為に祈りました」なるメールが来るのである。無造作に大学を撰んで特別に祈る意図が解らない。

更にいつだったか、政治家の小沢一郎氏が「仏教は寛容でキリスト教は非寛容」云々と発言した日には「小沢一郎氏の為にも祈りました( `ー´)」(大体こんな顔文字だったと思う)なるメールも来た。

私や小沢氏のその後を思うに、彼等の祈りに少したりとも意義があったとは思えない。

夏期学校

岡山 4 年目になって私の心は荒廃し始めた。他大学への再受験をも志し、夏休みに河合塾にごく短期間通ったが、些細な原因で癇癪を起こし退塾させられた。キリスト教、特に福音派への信頼も減衰し、「クロスロードチャーチ」には余り往かなくなった。

そんな夏休みにふと思って KGK の夏期学校に参加した。殆ど物見遊山か鬱憤晴らしで、礼拝などは寧ろ斜に構えて見物する心算だった。因みに担当牧師は私に洗礼を授けた「高島チャペル」の森敏だ。

場所は福山市金江町の広島県立福山少年自然の家。ここも馴染みのある所で、小学生の頃ペットボトルロケットの打ち上げを見物したこともある。但、小学生の頃館内に吊るされていた「永遠に消してはならない少年の火」は撤去されていた。まるで私のキリスト教信仰のようだ。

結局、礼拝を斜に構えて見物することすらなく、二段ベッドの上の層で昼寝したり、散歩したりしかしなかった。鬱のような症状を患っていたから、礼拝どころですらなかったのである。

夕べは学生共が賑やかに雑談していたが、聞き取れたものではない。

二泊目の夜だったか、屋外から華やかな流星群が見えた。宇宙とか天文学の話は嫌いなのだが、その夜空には困惑した。他の学生共や施設の職員も眺めていたように憶えている。

因みにこの施設、食事がやや少ない。「青少年」ではなく「少年」向けの施設だからだろうか。

研修が終わってから、どの学生だか知らないがキッチュな絵柄の用紙で手紙をよこした。私の名前を失敬千万に間違えていた。

その後

岡山時代末期には岡山大学図書館の外部利用者カードを作って頻繁に出入りし、それを口実に岡大の学食で食事を摂っていた。某日、そこで食事しているといきなり「あの、僕たちクリスチャンなんですが、この『四つの法則』(勧誘冊子)というのを読んで貰います?」云々と勧誘をしかける学生がいた。あれも KGK の輩だろうか、もしそうだとすれば滑稽である。

矢島は後に KGK の主事になった。Facebook で「嘗ての如き信仰は残っていませんがよろしくお願いします」と挨拶したが、返事は無かった。私が棄教したことを嘆いてか、怒ってか。

それから図書館の宗教の棚で『クリスチャンの職業選択』なる本を見つけた。金江の夏期学校で見かけた山崎龍一なる KGK のスタッフが書いた本だ。キリスト教徒(「クリスチャン」という片仮名は大嫌いだ)だった内に読んでいれば、私は定職に就けたのだろうか。いずれにせよ、虚しさしか覚えない本だ。

2020 渡邊朱倫