震災

渡邊朱倫
2021 年 1 月 16 日

阪神・淡路大震災(1995 年 1 月 17 日 5 時 46 分)

福山の生家は木造土壁の二軒屋で、二階の六畳間で家族三人で寝ていた。北西側の長辺の壁には 2 m 程の高さの書棚が立ち、父親の神学書や新書が並んでいた。

兵庫県南部地震が発生したのは私が幼稚園年長の時だ。早朝だったので、揺れ自体の記憶は無い。母親が私を抱え、父親は書棚を押さえていたと後で聞く。朝、NHK で災害を確認した。福山が震度 4 だったこと以外、当時の記憶は薄い。失敬だが、被災地の惨状を見た衝撃も薄かった。

幼稚園でも地震の話をした記憶がまるでない。この時に限らず、教諭や他の児童の言うことを聞くのが苦手で、気の合う相手がいなかった。

震災発生後、NHK は暫く犠牲者の名と年齢を画面に列挙して公表していた。「死」という概念を理解し始めた矢先だった。

鳥取県西部地震(2000 年 10 月 6 日 13 時 30 分)

修学旅行から帰った翌日は六年生のみ休みで、私は前述と同じ寝室で昼寝していた。

突如、スライド式の書棚が左右に揺れた。何事かと思った。揺れが収まって屋外へ出てみた。家の向かいが即ち通っていた小学校で、校庭を掃除していた下級生が「私、外で地震感じたの初めて」云々とやや能天気に語っていた。やがて「生徒の皆さん、訓練と同じように避難してください」と構内放送が聞こえた。

福山市は震度 5 弱だった。震源地の鳥取県も含め、死者が出ていない。

芸予地震(2001 年 3 月 24 日 15 時 27 分)

自宅で知人とテレビゲームをしている最中に地震が起きた。またも 5 弱だった。広島県呉市と愛媛県北条市の各一名が亡くなっている。

この地震で興味深いのが、小学校の卒業式が 3 月 21 日で、その直後まで相変わらずテレビゲームを嗜んでいたという事実だ。私は時々「テレビゲームは小学校と同時に卒業した」と自称していたが、今調べるとこの言い草はどうも不正確のようだ。

その知人には「渡邊は近大福山で鴨になる」と予言されていた。果して的中したが、以後彼とはほぼ全く会っていない。

東北地方太平洋沖地震(2011 年 3 月 11 日 14 時 46 分)

岡山理科大学理学部基礎理学科で「5 年目」にして漸く「3 年次」に進級しつつあった。あらゆる意味でやさぐれていた時期だった。

遥か遠い東北で地震が発生した時、私は福山の家(3 軒目)で録画した『放浪息子』という深夜アニメを再生していた。一幕が終わったのか、詰らなくて止めたのか、ふと放送に切り替えれば「宮城県で震度 7」という字幕と共に、漁港などが津波に浸かる光景が映った。

テレビない奴はアルジャジーラ見れ

――生越昌己(於 Twitter、「見れ」は儘)

当時既に Twitter に入会していたが、生越氏のこのツイート以外余り印象にない。

私にとってこの年の曲がり角は震災より、岡山理科大学の中退と精神病院への入院だった。

2021 渡邊朱倫